「毎日3,000万食の食料を廃棄する日本」
5分でわかる食糧問題:NPO法人ネットワーク『地球村』より)

衝撃的なデータですね。
実際に首都近郊のベッドタウンにある実家近くの郊外型大規模スーパーに行くたび、
店舗の広さ、陳列されている商品の種類、分量にいつも圧倒されます。
普段利用する小さなスーパーに慣れている家人も、この光景を見るたびに
くらくらして、品数の多さに少々気分が悪くなるくらいだと言っております。

おそらくこのきれいにおめかしして並べられた商品の何割かが売れ残っては
消費期限を前に廃棄されてしまうのでしょう。
日本の安全な食品管理と引き換えに、余裕をもって大量に廃棄されてしまう
食料品が積もり積もって、上記のような数字に膨れ上がってしまうのです。

なんでも日本では年間で、7000万人が一年間食べていけるだけの量が
廃棄されており、世界でも1,2位を争う廃棄量だそうです。

日本のスーパーやコンビニなどの小売店では、
消費者が欲しいものがすぐに手に入るようにするための品揃えばかりに留まらず、
必要ではなかったものをも買ってもらうための陳列に尽力し、商機を逃さじと
躍起になって商品を並べています。どれもこれも人々の贅沢な食生活を支えています。

我々消費者の便利さ快適さの追求に応えるという名目のもとに、食品メーカーや
小売店の利益を拡大するために、そして、”景気”や”内需拡大”という経済至上主義のため、
非常に大量の無駄が生じているのも事実です。

本来はまだ食べられるのに廃棄されてしまっている、いわゆる「食品ロス」の
問題については、農水省も「食品ロス削減に向けて」を提唱していますが、
社会全体で習慣化してしまった生活スタイルそのものは、簡単には改まらないでしょう。

考えてみますと、これまで日本では、常に便利さや快適さを追求し、それによって
得られるであろう「豊かさ」を求めて日々の努力や探求をしてまいりました。
その結果、日本は世界でもトップレベルのGDPを誇る経済大国となりました。

しかしながら、我々日本人は果たして、世界でもトップレベルの「豊かな」国と
なったのでしょうか?

輝かしいデータの一方で、こんなデータもあります。
「15-34歳の若い世代で死因の1位が自殺となっているのは先進7カ国では日本のみ」
これも衝撃的な事実ですね。
社会の中で一番体力があって、精神的にも充実して、夢と希望を抱いて
社会を支えるべき若者が絶望して自らの命を絶ってしまう割合(:自殺率)が、
OECD諸国の中でも非常に高いということです。
また、未遂者はその10倍はいるともいわれており、更には日本では変死者が
年間15万人もいて、WHOではその半数を自殺者としてカウントするため、
本当はもっとずっと高い数値になるはずだとも。。。

また、UNDP(世界開発計画)が出した報告書では、
国民生活の豊かさを示す「人間開発指数(HDI)」の世界ランキングで、
日本は20位だそうです(人間開発報告書2015)。
国際連合持続可能開発ソリューションネットワーク(UNSDSN)が発表している
World Happiness Report2015」(世界幸福度ランキング2015)では、
日本は158国中の第46位だそうです。

いずれも日本の経済的な地位には見合わないデータですね。

果たして、日本は「豊かな」国なのでしょうか・・・
疑問が湧いてきます。

身近で思い当たるエピソードがあります。

台湾から遊びに来た友人と金曜日のアフター6に待ち合わせて
都内中心部の地下鉄に乗車していた時のことです。
友人がふと「なんで日本人はみんなこんなに生気がなくて、
車内がこんなに静かなんだ?」と。
見回してみると、確かに座席一杯に座っている都内の中枢に
勤務しあるいは訪れてきたであろう人々は、めいめいスマホや
雑誌などを眺め、あるいは黙って前を向いていたり居眠りしていて、
電車の音以外は全く音がしていません。

友人はさらに「今日は金曜だろ?これから週末だし、みんな
家に帰って家族と過ごしたり、友人と飲みに行ったりするんだろ?
なのになんでこんなに覇気がないんだい?嬉しくないのか?」と。
その大きな声が車両中に響き渡るくらいの静けさで、指摘されている
当人たちは何の反応もなく(外国語なのでもちろんわからないはずなのだが、
なんとなく自分たちの方を見て何か言われていることはわかると思うところ)、
それがかえって不自然な光景に感じられました。

慣れてしまって全く違和感がなかった私にも、なんとなく異常に感じられて
来ました。その通りなのです。本来なら1週間働いた後のいわゆる花金を
楽しみ、家族や恋人、友人と過ごすであろう週末に向けて、一番気持ちが
高揚していていいはずの時間帯の電車内。
場所にふさわしく、みな身なりもよく、おしゃれで裕福そうな手荷物などを
身につけています。

でも、みんな無表情で、正直仏頂面というか、不機嫌そうに見えます。
決してハッピーには見えません。良く言われるように、日本人はシャイで
仮にそんな高揚した気分であってもそれを外面にはおくびも出さない、
というのとも違うように感じました。

その友人は続けます。「台湾なら金曜のこの時間の電車では、こんなことは
ないよ。普段でもにぎやかに話をしていることが多いし、ましてや金夜は
もっとずっとみんな楽しそうだよ!」と。

私はこの時以来、電車に乗るたび、日本国内でも、ましてや世界の中でも
最も(経済的に)裕福であるはずの地域で生活している人々の多くが、
なんと不幸せそうな感じがするのかと感じることが少なくありません。

皆さんも思い当たりませんか?
電車や公共の場で、多くの人間と行きかう場での見知らぬ者同士での
些細ないざこざやちっちゃな対立(トラブルとまではいかない)。
人口が多く密集し、スペースがないのだから、少しずつ気を遣い合って
譲り合えば、人の体に当たったり、鞄をぶつけたり、荷物やスマホを
押し付けたりしなくても済むのに、と嘆くことが日常茶飯事です。
もちろん、ちょっと「すみません」と互いに言い合えれば収まること。
それなのに冷淡な無視や無関心、あるいは、あからさまな敵意
(もしくは殺気?)を感じるような挙措に遭うこともしばしば。
周りにいる人間はみんな敵だと言わんばかりで、落胆至極です。

これが世界でも有数の親切な民と言われる日本人の真の姿でしょうか。。。

それは、日本人特有の恥ずかしがり屋で慎ましいという特性を加味しても、
やはり拭い去ることができない実感です。
みんななんで、何のためにこんなにまじめに、そして自分の多くの時間を
働くことに捧げて、それでいて、その働きに見合うだけの「幸福さ」を
得られていないのか、不思議に思えて仕方がありません。

日本なんかとは比べものにならないくらい貧しい国の人々でも、もっと
精神的に幸福な生活を過ごしているであろう事実があることは、想像に難く
ありません。有名な「世界一幸福な国」といわれるブータン王国しかりです。

やはり、求める「豊かさ」の方向性が、物質的あるいは表層的に偏ってしまい
真の「豊かさ」とは違った方向へ向いてしまっているのではないでしょうか。

前記の各データが示す事実は、それを裏付けているように思われます。

「中庸の徳たるや、それ至れるかな」(「論語」より)

taisanboku